BLOG 【かえる日和】

平成最後のラストラン

また、ハーフマラソン走ってきました。

こんなことばっか書いていると仕事していなさそうですね。

ですが、仕事はきっちりこなしていますよ。

冒頭のタイトルにあるように平成最後の冠がつく言い回しが巷に溢れすぎて、もはや聞くのもうんざり、という方も中にはおられるでしょう。

当日も、スタート前のスピーチでは大会関係者の誰かがしきりにそのフレーズを連呼していました。

スタート前の待機時に私は後方のブロックにいましたから、スタートゲート付近の様子は全く分からず、ただ何となく「平成最後?そうなんだ」と思ったくらいで、何をそんなに持ち上げるのか?とさえ思った次第です。

推測ですが、 理由はこんな事なのではないでしょうか。

それは、日常的に元号を使う立場にいるか、そうでないかということです。

練馬こぶしハーフマラソンは練馬区主催の大会です。

大会関係者はおのずと区の運営に関わる方たちとなるでしょうから、日常的に活用している彼らからすれば、そのフレーズが出てきてしまうのはもはや必然と言えなくもない。

私は勝手にそう合点したのでした。

聞きかじりの情報ですが、日常的に元号を使用する頻度は、ここ30年ほどで半減したそうで、通常では過半数を超える方たちが西暦、もしくは西暦と元号を半々で年号の表現をしているとの事。

私もどちらかというと後者です。気にしてみると、日常的には西暦で、公式の書類には元号で日付を記してますね。

さて、もうじき元号が変わりますね。

これを機に元号の使用頻度が変わるのか?というと、事は案外ならず、相変わらず西暦の使用頻度が高い状況が続くのでは?と感じております。

理由はこれまた推測ですが、こんな簡単ことなのではないでしょうか。

それは、

計算が面倒くさいからです。

昭和の時は25を足すと西暦の下2桁になりました。

これはまだわかりやすい。

ですが、平成から西暦への変換は12を引く、更に2000を足す。新元号は18を足す、とか普通に面倒くさいです。

ちなみに、私は元号の使用や存在を否定するものではありません。むしろ日本の歴史の積み重ねを象徴するものとしても必要なものなのではと思う次第です。ですから、これは日本固有のダブルスタンダードなのですね。めんどくさいのも仕方がないことです。

正直、歴史の重みというところまでは考えが至っておりませんでしたが、時代の移り変わりを何となく感じた春の出来事でした。

気が付けば、マラソンの話題からずいぶん離れてしまいましたね。

当日は、こぶしも8分咲きの小春日和で非常に心地よく、記録も若干更新して気分も良く、無事に大会を終えたのでした。

次回は気分も新たに、自分が面白いと思ったネタなんかを追っかけてみたいと思います。


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コメント

    • やまかわ
    • 2019年 4月 03日

    元号。
    例えるなら、昔のブラウン管テレビの上の置物のようなもので
    不用だけど、不要じゃない。
    そんな感覚に近いのではないでしょうか。

    令和発表の瞬間、日本人の多くは無自覚な一体感を持てたと思いますし
    「新しい時代が来た」と漠然と感じたんじゃないかなぁ。
    でも、
    昭和、平成の(個人的な件も含めて)辛かったこと、悲しかったこと
    悔しかったこと、情けなかったこと、恥ずかしかったこと、
    うれしかったこと、楽しかったことは、元号が変わっても
    忘れませんけどね。

    令和に何が起きるかわかりませんが
    少なくとも言えることは、「令和○年」が自分が亡くなった年になるんだろうなぁと
    いうことです。

    ブログ、楽しみにしています。

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