BLOG 【かえる日和】

没である

congerdesignによるPixabayからの画像

少し前の事である、私はいつもの様にブログ更新の為に文章を書き始めた。

結果、その投稿は没にした。

その日はいつになくテーマを特に決めずにだらだらと書き始めていた。

話題があっちに行ったり、こっちに行ったり。そうこうしているうちに飽きてきてしまい、これは書き続けるのは無理だな、とラジオを付けた。

程なくして、何て事のないニュースが耳に飛び込んできた。それも、いつもだったら絶対に聞き流してしまうほどの内容のものが。

それは、事件というほどのものでもなく、ただ法律に抵触してしまった素人が見せしめの為に書類送検されたという程度の扱いだったのだけれども、それがどうにも気になってしまい、調べる欲求のスイッチがカチッと入ってしまったのであった。

そうだ、これをネタに書き進めていこう。

と、同時進行でブログ記事の入力と調べものを開始。

調べものは順調に進んだし、かなり興味深い内容に進んで行く。がしかし、それで分かった事があった。

これは、自分には手に負えない内容のものだ。

推測の域は超えられないけど、おそらくこういう事なのでは?という所までには行き着いた。ただ、あくまでも推測でしかわからない内容のものを無責任に発信してもいけないだろう。

ということで、そこそこ書き進めていたのにもかかわらず没にした。

あれほど盛り上がっていたのに、瞬時に空気の抜けた風船のようになってしまい、その後ブログ更新の意力もそがれ次のトピックも練りだせなかったのだが、こういった、つまずいた後の起き上がるスピードが相変わらず遅いなと思い、更に気が滅入った。

思えば、仕事を進めるにあたって、こういう事はしょっちゅうあるわけだし、ましてリフォームなぞは想定外の事ばかり起こる生業の最たるものではないだろうか。

そういった意味では、勇んでこれはいけると進む矢先に、行き止まりに出くわすような出来事が日常的に続いているのである。

そんな時はどうするのかというと、些細なことに突破口を見出すのが良いのでは、という事が経験的に気付きとしてある。

例えば、今書いているこの文章もそういった試みの一つである。

文章を書くと客観的になれるので、自分が進めないでいる理由がおしなべて、どうでも良い、些細な事であること、等がわかるようになる。

自分で、こりゃダメだ。と気づくときは何度経験してもガッカリ来るのだけれど、それでも大事なのは次の行動なのだよね。そして次の行動に移せないのは事の本質よりも関係のない些細な事。

何度やっても行ったり来たりである。

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