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BLOG 【かえる日和】
5.252020
ソースはどこだ
あまりこういう話はしないことにしていましたが、寝る前に気が付いたことを書いておこうかと思います。
テレビの向こうにどんな現実があろうとも、私にとっては現実ではありません。自分にできるのは、離れた場所の現実を薄皮一枚隔てたこの場所で、状況を読み解き推測する事だけです。
もし、本当のことを知りたかったら自分でその場所に行って自分の力で確かめるしか方法がなく、ただ情報を受け入れるだけだと間違えてしまう可能性があります。
だから、一歩引いて冷静に情報を収取して推し量るしかないのです。
なぜにこんなことを言い出したのか、感情的な部分は別にあるのでここでは割愛しますが、大筋ではこういう事です。
今日、たまたまテレビをつけてみたニュースから、ちょっと考えさせられることがあって、それが今考えていることにも通じるなと思い、半ば力業で今日のトピックとして祭り上げてしまったというわけなのです。
その、考えていた事とはこういう事です。
現実から目を背けるのとは違います。ただ、自分の現実は実際に自分が確認できている事だけ。それ以外の事は積極的に情報を取ったうえで想像力で補填するしかないということです。
逆にいうと、その、それ以外こそを大事に扱わなければならないと感じていて、想像力で補う部分の精度を上げる事が自分が社会との関わりをより良いものに変えて行ける手段だと思っているのです。
なので、情報収集力や想像力を鍛える事は、可及的に行うべき事なのでは、と考えていたわけです。
社会との関わりとは自分の仕事や活動の事です。
また、自分が関わることで誰かの暮らしがワクワクできるものになるように。
というのがキバナデザインの基本方針でもあります。
私はこんなことが出来ますとアピールする際、実際に会って話せる人であれば対話を繰り返すことでその精度は上がります。
ですが、まだ会ってない人。これから私に興味を持っていただける可能性がある人に対してはこちらからのメッセージはなかなか伝わらないものかと思います。
冒頭、極端な例を取り上げましたが、これは情報を伝える際のヒントになりました。
それは、私がただ単に何か情報を発信した所で、相手には間違って伝わってしまうかもしれないという事です。
それを防ぐには、相手に対してもこちらに興味を持ってもらい、いろいろ調べていただく必要があります。
社会というフィールドがあるとしたら、自分の陣地からただボールを投げ込むだけではなく、相手にも出て来てもらって、いずれは一緒にプレイできるようになれるようなそんなイメージです。
なので、自身の境界を越えた場所にいかにお互いが出入りできるかという事がとても重要なことなのではないでしょうか。
情報収集力や想像力を鍛えるべきというのは、ただ私一人が出来ればOKというわけでありまえん。他の誰かも同じような試みを進める必要があるのです。
そういうやりとりを経たうえで、お互いがお互いを面白いと思えるようになったらとてもうれしい事と思います。
そんなことを夢想しつつ、今日も駄文を繰り出してゆきます。
P.S.そろそろこのブログをただの垂れ流しにしない工夫が必要になってきましたね。可及的案件に加えておきましょう。